世の中には、「教えて君」と呼ばれる存在が居ます。
教えて君とは、自分で調べて考えようとせず、いきなり他人に「これ分からないから答え教えて」とあれもこれも質問を投げかけるような方のことを指します。
このような存在は勉強の方面に限らず、仕事でも日常生活レベルでも見かけるかも知れません。

でも、どうやっても分からないものは分からないからなあ。

人間である以上は、どうやっても自力で分からないことはあります。ですが、ここで問題なのは「理解するための努力」です。

ああ、おいらはとりあえず分からんなりにググりはするわ。
当記事では、教えて君を批判する意図は一切ありません。他意もありません。
それよりも、「教えて君の状態では本人にとっても結果的に損になる」という点をクローズアップしてみたいと思います。

教えて君に当てはまらない方にとっても、お子様や後輩への教育方針の一環として読んでいただければ幸いです。
その場しのぎの食糧援助と継続的な農業経営

それでは、ここで譬え話をしてみましょう。
発展途上国に対する経済支援において、よく論点となる話があります。
それは、依存関係です。
ここでは、食糧援助を例に考えてみましょう。
今まさに飢餓状態の人たちに対しては、当然ながらその場をしのぐための食料が必要です。
これはいわば食糧支援の第一義的な活動であり、人道的支援の一環とも言えます。
ですが、そうした一時的な食糧支援だけを続けたところで、本当にその国のためになるでしょうか。
その国の食糧事情や経済状態が同じ水準のままであれば、食糧支援が途絶えてしまうとまた飢餓状態に陥ってしまいます。
これはまさに依存状態と言えます。
別の表現を使うと、先進国の援助に自国の運命が握られている状態であるとも言えます。
そこで必要になるのが何かと言えば、継続的な農業生産です。
カンタンに言えば、農業経営によって自分たちの手で持続的に食糧生産を行えるようになるということです。
もちろん農業経営を進めるためには技術やノウハウの支援が必要です。
ですが、いざ自国の農業生産が回り始めれば、食料面での依存状態から脱却することができます。
食料に余裕が出てくれば、生活自体に余力が出てくることでしょう。経済も発展し、教育面の余力も生まれるでしょう。
そうしていくうちに、自分たちの手で自己改善、自己解決能力も高めることが出来るでしょう。
このような好循環に入るためには、農業のやり方や経営、物流などの合理的なノウハウを先進国から学ぶ必要はあるでしょう。
しかし、先進国から学んだノウハウを自分自身で活用しないと状況は一向に変わりません。
それはつまり、ただ与えられるのを待つだけの状態では成長しない、ということです。

持続的な成長を生み出すためには、支援を受けた上で、まずは当事者自身が自主的に試行錯誤しないといけないのです。
※現実の国際関係では根深い経済格差の問題や歴史問題、環境問題、人口問題などといった要因が複雑に絡み合っているのですが、あくまでも例え話ですのでここでは割愛します。
自分で調べて考え、試行錯誤し、「成長の好循環」に乗る

本題に入る前に、自分で調べることがどれほど有益かについて考えてみましょう。
多様な切り口を知り、情報を取捨選択し、成長するプロセス
まず、教えて君と分けて考えるべきこととして、「自分なりに調べて試行錯誤しても結果的に分からなかったこと」を詳しい人に聞くのはまったくもって正当な質問です。
それは「自力で対処できる限界を超えた」ということにほかなりませんから、人に聞くことも立派な対処法の一つです。
ただし、もちろん質問を投げかける相手の都合に配慮するのが前提の話です。

逆に遠慮しすぎて一人で抱え込む方も多々見かけますが、人に質問する勇気もまた時として必要です。
こうした自助努力は、「質問を受ける側の負担を軽減するための配慮」という意味合いもあります。特に、単純な知識の問題であれば「ググる」だけでほぼ自己解決するはずです。
そしてそれ以上に、自分で調べるプロセスそれ自体が自分自身の成長にもつながります。
例えば、PDCAサイクルという言葉を初めて見たとしましょう。
そこで、適当に『PDCAサイクル』で検索して複数のサイトを調べてみれば、各ページでは各々の違った立場から異なった主張がなされているはずです。
ザックリと考えてみても、以下のように多種多様な解説ページがあるはずです。
- PDCAサイクルの辞書的な意味を説明しているページ
- PDCAサイクルの実際の活用例の紹介
- PDCAサイクルに対する欠点の指摘、批判
- PDCAサイクルに代わる考え方の紹介
- PDCAサイクルを有効に活かすための改善策
中には、一見すると反対のことを言っているようなページもあることでしょう。
ここから情報リテラシー、つまり自分で考えて情報を取捨選択することが必要になります。
私が以前書いた解説記事では、「一日単位のPDCAサイクルも回していった方が良い」という考えに基づいて独自にアレンジして解説していますし、CAPDサイクルの発想もセットでご紹介しました。

同じ言葉であっても、切り口が変わればプロセスも結論も変わるということです。
問題解決能力を高め、経験値を増やし、更に成長を続ける
このような調べ物をしていくうちに、経営・ビジネス方面といったような周辺知識も芋づる式に入ってくることでしょう。
あるいは自分で調べて考えること自体が知的なトレーニングにもなりますし、様々な文章を読んでいればそれだけで読解力の訓練にもなります。
さきほど例に挙げたPDCAサイクルであれば、もちろん実際に自分の人生の中で有効活用していくこともできます。仕事術やライフハックはその代表例です。
こうして、自分で調べて試行錯誤した過程の「すべて」が自分自身の経験値になるのです。
勉強というのは、単に点数アップに結びつけるだけでなく、まさに問題解決能力それ自体のトレーニングという意義も非常に大きいのです。そうした問題解決能力はむしろ社会人になってからの方が強く問われます。
日本でも近年うたわれているアクティブ・ラーニングもまさにそこが肝心要なのです。
以前の記事で「ググる習慣が大切だ」と述べましたが、その真髄は「自己解決するための手段それ自体を習得しましょう」という点にあります。
これは例えるならば、先進国からの技術提供を受けながらも自力で開発を進めて食糧生産できるようになる方法です。

あとは循環的に成長を続けるだけです。
教えて君への対処法は依存関係から切り離すこと
では、勉強や仕事における教えて君について考えていきましょう。
なお、ここでいう教えて君とは、適当にググれば10秒で出てくるような解説ページも読まずに何でも質問するような人のことです。
教えて君は自己成長の機会を自ら失い、結果的に損失が大きい
以上の話に対して、俗に言う『教えて君』はまさに正反対の存在です。
『自分で調べず、試行錯誤もせず、自分なりに対処法を考えようともせず、ただ他人に聞くだけ』というのは、まさしく他人に依存しているだけの状態です。
まず、教えて君に対して見返り無しで懇切丁寧に教え続けてくれる善人というのが果たしてどれほど存在するのでしょうか。
仮に存在したとしても、そもそもその人が言っていることは本当に正しいのでしょうか。

それ以前に、正解は一つとは限りません。『甲の薬は乙の毒』かも知れません。
そして善意の人も、遅かれ早かれいずれは教えて君の元から去ることでしょう。
親しい友人や家族ですらいつまで一緒に居られるかは分かりません。ましてや一方的に「搾取」するような関係であればなおさらです。
食糧援助であれば、人道的支援の一環として末永く続けられていくかも知れません。(それですら急に打ち切られる可能性も否定できません。)
ですが、人命の懸かった食糧援助とは違い、ネット環境や参考書籍があるにもかかわらず調べないような教えて君に手を差し伸べ続けるべき道義的責任はありません。
むしろ依存関係を断ち自助努力を促した方が、長い目で見れば本人のためになることでしょう。
極端な話、「泣こうが喚こうが答えをホイホイ与えない」ことが逆に本人の為になることも多々あるはずです。
自己成長の為には、答えに至る過程や方法から学ぶこと
「自分で調べて考える人」は、同じ時間と労力を使って様々な知識や経験値を蓄積して自己成長することができます。
たとえ最初は上手く行かなくとも、確実に一歩ずつ自立的に前進することが出来ます。
一方で、教えて君と呼ばれる方々は、「教えて教えて」とコミュニティをさまよい続ける状態のままで本当に良いのでしょうか。
そうしている間にも、成長の機会を放棄して損し続けているのは教えて君自身です。時間が経てば経つほど、その機会損失は計り知れません。
逆に教える側の立場であれば、単に答えを与えるのではなく、答えを導き出すための方法それ自体を教えれば良いということです。
例えば、上手いネット検索の仕方や情報整理、PDCAサイクルなどの手法について具体的に指導すれば良いということです。
そうして当人が自分で試行錯誤をした上で、尚も分からないと言うのであればそこで助け舟を出せば良いという話です。(その助け舟の出し方も、当人に合わせた形に出来れば理想です)

当サイトでバズった読書感想文の裏ワザの記事も、裏ワザと銘打ちつつもまさに方法論の解説に徹しています。
教えて君の未来は、AIにも判断できない
――これからの未来は、AI技術が更に発達していきます。
今(2019年)のAIはまだまだ黎明期で、囲碁AIや作業AI、自動運転技術など、バラバラの専門分野に集中した特化型が主流です。
それに対して、SFなどで出てくる、「人間のように考えて振る舞う」ようなAIを汎用型AIと言います。
そのような高度なAIが実用化されれば、そうしたAIに全て委ねるのも一つの生き方となることでしょう。
AIロボットはどれだけ質問されても、エネルギー切れや故障さえしなければ愛想をつかすことはありません。教えて君の代わりに何でも調べてくれることでしょう。
ですが、正解が一つに絞れないような質問には、どんな高度なAIでも答えようがありません。むしろ公平性の高い真っ当なAIほど答えられないことでしょう。
まとめ
以上のような根本的な話を、教えて君にあの手この手で教えることが教育側に求められる対処法である、と私は考えます。
自分で調べ、自分で対処法を考え、自分で試行錯誤し、自分で問題解決を行なうということ。
あるいは、様々な選択肢の中から自分なりに考えて意思決定をすること。
これらはまさに人生の全ての局面で求められることです。
いわゆる教えて君は、これらを全て手近な他人に委ねているということです。
それはただ他人から答えを与えられるのを待つだけの依存状態です。(もちろんネット上であっても同じ構図です。)
それに対して、自分で調べて考える人は、先人たちの知恵を参考にして自己改善することが可能です。

私自身、当サイト開設から今まですべて自力でググって自分独りで試行錯誤してきました。
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