国語においても英語においても、具体的・抽象的という概念は極めて重要です。
例えば、過去記事では以下のように述べました。
「抽象論→具体例」というのは、先に論点・トピックの核心を述べてから、後で具体例に当てはめて読者に分かりやすくする、というような形です。
過去記事においては段落構成のパターンの一種としてサラリと述べていますが、実際は国語や英語に限らずプログラミングや他の分野においても極めて重要な概念です。
そこで、抽象と具体の違いについてもう少し深く掘り下げて考えてみましょう。
抽象的と具体的という言葉の意味とは
具体的・抽象的とは:対義語をセットで考える必要性
まず、具体的・抽象的という言葉の意味について考えてみます。
具体的とは、個別的・実際的で、形や内容などがよりハッキリとしたような様態を指します。
抽象的とは、物事からある要素を抽出して他の要素を無視したような様態を指します。

……意味が全く分からない。

分からなくて当然です。具体的・抽象的という概念は、セットの関係で理解できるものだからです。
上で挙げたような辞書的な意味は、まさしく「具体性を欠いた抽象的な説明」です。
よって、抽象・具体をワンセットで噛み砕いて具体的に説明していきます。
抽象化について具体的に図示、共通項としての性質
では、具体的な例として、「バナナ」について考えてみて下さい。

バナナと言ったら滑る!滑ると言ったらバナナ!

バナナは皮が黄色くて甘くて美味しいですね。
「バナナ」と言えばまさに「コレだ!」と具体的な現物が思い浮かぶはずです。
……ではここで、「バナナ」という具体的なモノから「果物」という要素を抽出してみましょう。
これがまさに抽象化のシンプルな例です。
より具体的に言えば、「バナナと言えば、あの黄色くて、粘りがあって、房に細長い実がたくさん生えていて、美味くて……」といった諸々の要素を無視して果物という属性だけを抜き出したとも言えます。

ん?グループ化ってこと?

その表現も非常にアリです。いわば、「共通項を抜き出した」とも言えます。
ここでの抽象化というのは、言ってみれば、余計な要素を切り捨ててクローズアップしたい共通項を抽出する作業とも言えます。
実際、「果物」と言えば「りんご」も「みかん」も含まれますし、逆に「りんご」からも「みかん」からも「果物」という共通項が抜き出せます。(ある意味で当たり前の話です)
抽象と具体の関係をつなぐ「抽象度」という概念
そうして抽象化を進めていくと、一種の階層構造が見えてきます。
例えば「果物」という要素を抽出すれば、それはバナナだけでなくリンゴやミカンにも共通する要素であると言えます。
更に言えば、「果物」から諸々の要素を切り捨てて「植物」という要素を抽出することも出来ます。そうすると、この「植物」という要素は、果物だけでなく野菜や生花なども包括する概念となります。
こうして、抽象化というものは一度だけでなく幾重にも重なっていきます。
そして、このような抽象化の度合いのことを抽象度とも呼びます。
上図で言えば、「植物」という概念は「バナナ」という概念よりも抽象度が高いと言えます。逆に、「バナナ」という概念は「植物」という概念よりも抽象度が低い=具体的であると言えます。
このように、「抽象的」と「具体的」という概念は不可分一体の関係にあります。だからこそ冒頭で述べたようにワンセットで考えていく必要があるということです。
抽象化しすぎると分かりにくい:だから具体例が求められる
もう一度、先ほどの図に戻ってみます。
この図の頂点にあるように、更に抽象度を上げていくと「物質」という要素まで抽象化できます。
これは、元の「バナナ」という具体的な現物からあらゆる要素を切り捨てて物質性だけが残ったとも言えます。

……どういう意味?

逆に考えてみましょう。「物質」という言葉からバナナという具体的な実像が思い浮かぶでしょうか。

……「物質」ってのが具体性が無さ過ぎてよく分からないですね。
これはいわば、「抽象的すぎて意味が分からない」という場面の一例です。
例えば「バナナは好きですか?」と問われれば、「美味しくて好き」「舌触りが苦手」「まあまあ」と言ったように容易に答えられます。バナナという具体像があるからです。
対して、「物質は好きですか?」と問われたところで、抽象的すぎて答えようがないという方がほとんどかと思われます。「物質」と言ってしまうと、この世の全ての物質が含まれてしまうからです。(もはや物心二元論のようなスケールの話になります)
だからこそ世間では「もっと具体的に説明してください」という質問が頻出するわけですし、論説文であれば具体例を提示することが多い、ということです。
抽象的な例文・具体的な例文について例示

ここまで基本事項を説明したところで、具体的な例文を挙げてみたいと思います。
せっかくですので、過去記事のコラムを題材に考えてみます。
この過去記事に関するトピックを、以下のように3つの抽象度で書き分けてみます。
- 価値観や感受性は人それぞれである。よって綿密な相互コミュニケーションが大切である。
- 自分がされて嬉しいことも嫌なことも人それぞれである。だから相手の意向をちゃんと聞いておこう。
- 接待として馬刺しの名店に案内する場合、大半の熊本人にとっては嬉しくても、今回来日したイギリス人技師のように激怒する人もいる。だから相手の食文化を事前に聴き取っておくべきである。
何となくの感覚でも、1の文は抽象的で掴みにくく3の文は具体的で分かりやすいと感じられるかも知れません。
1の文はまさに「どんな場面でも当てはまりそうな教訓」ですが、一方で、3はまさに個別具体的なエピソードの紹介です。
対して、2はその中間であると言えます。
自分がされて嬉しいこと・嫌なことというのは、1の「価値観や感受性」というものを具体的な感情に当てはめた話です。そして、3の熊本人とイギリス人技師の馬刺し云々というのは更に具体的な人物に当てはめた話です。
ここで注意すべきは、具体的・抽象的という判断は相対的であるということです。
3の文であっても、例えば「熊本人の太田さんがイギリス人建築家のジョンさんを2012年12月21日に馬刺し屋○○へ案内して……」と更に具体的な説明も可能です。
一方で1も、コミュニケーションや価値観という人的要素すら切り離してフィードバックシステムとして更に抽象化できるかも知れません。

何となく分かったような分からないような。

抽象的か具体的かの二元論ではなく、様々な抽象度のレベルがあるという点が分かればOKです。
抽象的な筆者の主張と具体例というパラグラフ構成
では、先ほど挙げた過去記事をそのまま国語・英語の解説として転用しましょう。
甲の薬は乙の毒の意味~自分がされて嬉しいことも嫌なことも人それぞれ違う│時事・社会・ビジネス⑫
国語や英語の文章読解、特に論説文でよく言われるのが、抽象的な主張と具体例という定番のパラグラフ構成です。
先ほどの過去記事で言えば、最初に持ってきた馬刺しのエピソードがまさに具体例です。
対して、結論部分は以下のように抽象度を高めた主張で締めくくっています。
だからこそ「お互いに」コミュニケーションを図り齟齬をなるべく減らしていくことが大切です。
こうした展開はまさしく王道のパターンです。
ここでやってしまいがちなのが、具体例を追うあまりに本当に大切な抽象的な主張の理解が疎かになりがちという失敗です。

ちょっと待って!具体例は分かりやすいから大切なんじゃないの?

いいえ、むしろ逆です。大切な主張を分かりやすく伝えるために手段として具体例を利用しているに過ぎないことが大半です。
例えば先ほどの過去記事で言えば、馬刺しの話ばかりを頑張って読んだところで筆者が本当に主張したい「本文の主旨」は見えにくいままです。
具体的なエピソードはエピソードに過ぎませんし、具体的=抽象度が低いということは、余計な要素が切り捨てられず(捨象されず)に全てくっついた状態であるということです。

……どういう意味?

あの具体例からだと国際交流の話にも繋げられるし、食文化の話にも繋げられるよね。それだけ雑多な要素が含まれてるってこと。

……ああ、キャラ付けに属性を足しまくったら逆にキャラの方向性が分からなくなるっていうアレか!
実際のところ、特に論説文においては、抽象的な記述部分こそが筆者の主張の中心になることの方が圧倒的に多いです。
先ほどの馬刺しの例で言えば、ジョンさんであるとか太田さんであるとか言った個別具体的な名称などは不必要な情報です。よって切り捨てます。
そして、この馬刺しの話も、話を分かりやすく伝えるために挙げた具体例に過ぎず、別に馬刺しに限った話をする気もありません。それどころか食文化の話も国際交流の話も、先ほどの記事ではピックアップしたい情報ではないので切り捨てます。
そうして抽象化していった末の結論が以下の締めくくりです。
だからこそ「お互いに」コミュニケーションを図り齟齬をなるべく減らしていくことが大切です。
実のところ、コミュニケーション論がメインテーマでした。
そしてこの抽象的な主張を分かりやすく伝えようとして挙げた具体例こそが記事冒頭の馬刺しのエピソードだったということです。結論部分では最早馬刺しの具体例は原型をとどめていません。

抽象的な主張→具体例というのはワンパターン以外の何物でもありません。これはもはや単なる知識のレベルです。
パラグラフリーディングのコツは文章構成のパターン化!長文読解をマクロ視点から分析|論理的思考のコツ⑰
抽象的思考の大切さ:抽象化して他分野に応用する能力
ここで大切になってくるのが抽象的思考です。
先ほどの過去記事の例でも、まず最初に馬刺しの具体例を挙げた上で、そこから「甲の薬は乙の毒」という概念を抽出して他の例にも当てはめています。
こうした他の事例への当てはめが出来るのも、馬刺しの具体例から不要な要素を切り捨てて「甲の薬は乙の毒」という本当に論じたいエッセンスを抽出したからです

別の例として、勉強におけるパターン化についても考えてみましょう。
古文の解説記事においては、敬語表現が重要であると述べました。
古文の解き方のコツは敬語!主語・目的語の省略を尊敬語・謙譲語で識別する|論理的思考のコツ㉒
そこでは、敬語のパターンに応じて省略された人物の特定が出来るというテクニックをご紹介しました。
こうして、「ああ、古文の敬語表現は基本的にパターンに落とし込めるんだな」と理解したとしましょう。
この具体的な体験を抽象化することで、「勉強の基本は解法のパターン化だ」と学習全体に応用することも可能です。
例えば、数学の記事ではそのものズバリ、「基礎部分を解法パターン化して暗記する」という学習法をご紹介しています。
文系数学の勉強は解法パターン暗記から!本質理解と暗記学習を両立し効率化|勉強法・教育法㉑
こうした応用は中高生の5教科に限らず、例えば大学で初めて学ぶ法学であっても、最初から「基本パターンの習得」を軸に効率的な学習を進めることが可能であるということです。(ソースは私自身)
さらに言えば、机上の勉強から抽象化してスポーツや仕事にも「基礎のパターン化」が応用できます。
ここで法学の話が出ましたが、そもそも学問それ自体が抽象化の結晶です。
例えば法学であれば、「傷害罪」と一口に言っても具体的には「ケンカしてついカッとなって本気で殴った」、「酔って酒瓶で殴った」と言った犯行だけでなく、「怒鳴り続けてPTSDにさせた」と言った犯行もあったりと実に多用なケースがあります。
ですが、条文の上では「人の身体を傷害した者」と抽象化して全体に当てはめているということです。
第204条
人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
逆にこのように抽象化できなければ、「殴打傷害罪」「酒瓶傷害罪」「PTSD傷害罪」と一つ一つ具体的に規定していかないと罰せられないことになりますが、それは極めて非合理的です。
もちろんこうした具体と抽象の関係は法学に限らず、アインシュタインの「E=mc^2」でも社会学の社会有機体説でも経済学のビルト・イン・スタビライザーでも通ずる話です。
あるいはプログラミングで言えば、様々な数学的な計算をするのに毎回ゼロベースから全てをいちいち組み立てていくのは非合理的です。それよりも、最初から数学関数として抽象化してしまえば、後は具体的な計算の中身を無視して関数名といくつかのパラメータを記述するだけで計算できます。

つまり……どういうことだってばよ?

1から10を学べるってこと。

「知識をバラバラに習得して終わり」ではなく、もっとマクロな視点から物事を捉えることもまた大切です。
まとめ:抽象化と具体化という思考ツール
結びに変えて、抽象化と具体化というものは車の両輪です。
抽象的な概念だけでは一部の天才やプロフェッショナル以外には話が分かりませんし、かと言って具体的な話だけではエッセンスの部分が見えてきません。
具体的=善、抽象的=悪などでは断じてありませんし、その逆も然りです。
ミクロとマクロが相互に影響しあっているのと同じように、抽象と具体も相互に関連しあって森羅万象が成り立っています。(←ちなみにこの文は抽象度の高い主張で、具体的な説明が記事本文にあたる)
その中でも、大半の人にとっては抽象的思考の方が苦手です。
大切なのは、抽象的概念→具体化、具体的事象→抽象化という双方を思考ツールとして使いこなすことです。
そうしてバラバラな知識の点と点を結んで線や面にしていくことが知的成長の重要なカギとなります。

当記事で述べた話は一朝一夕で身につくものではなく、一生涯に渡って使い続け磨かれ続ける能力です。
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