職場の仲良しクラブで孤立しても気にしない!会社の人間関係は手段であり目的にあらず|時事・社会・ビジネス⑦

仲良しクラブ、職場で孤立時事問題・社会科学・ビジネスコラム

 

「職場での孤立感が辛い……。」
「一人ぼっちで孤独に仕事するのはキツイなあ……。」

 

職場での孤立感に悩んでいる方は密かに多いことでしょう。

そうした方に対して、大抵は本人のコミュニケーション能力や心理面からのアドバイスが多いことと思います。

 

それに対して当記事では、教育・一般教養サイトらしくロジカルに発想を転換する」という観点から話を進めていきます

 

カギとなるのは「仲良しクラブに内包する二項対立」と「目的意識」です。

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仲良しクラブは「仕事にとって」必要性があるのか

 

まずはじめに、孤立とは逆の視点から考えてみましょう。

すなわち、職場において「仲良しクラブ」を作る必要性があるのかという論点です。

 

仲良しクラブというのは、組織や集団内において「みんな仲良し」な関係を作ろうとするような風潮を指します。

ここで言う「みんな仲良し」というのは、単に『問題なくやっていけている』という話ではなく、公私の区別なくウェットな人間関係を積極的に求めるということです。ビジネス的な文脈においては、「仲良しクラブ」という言葉それ自体にネガティブな意味が含まれることが一般的です。

 

ただ、そのようなニュアンスは抜きにしても、そもそも「仲良しになること」が仕事にとって必要なことなのでしょうか

もちろん罵詈雑言が飛び交うような関係と比べるならば、仲良し関係の方が良いかも知れません。

ですが、それは「ムダにいがみ合うのは仕事にもマイナスですね」というだけの話です。

 

「だから仲良し関係こそが仕事にとってプラスである」かどうかは全くの別問題です。

 

例えば、「社外から仕事を取ってくる」ような営業面で言えば、確かに外部の関係者との「仲の良さ」というものが仕事に直結することも多いでしょう。(直結しすぎてコンプライアンスすら破ることもありますが)

対して、当記事で想定しているような身近な職場内であれば、そうした対外的な営業とは状況が異なります。営業するまでもなく周囲の人たちはみな同僚だからです。

 

ここで述べているのは、仲良しになることが「職場内で仕事をするために」必要なファクターでしょうか、という問題提起です。

 

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『仲良しクラブ』の発想に潜む二項対立の罠

 

ここで、二項対立」の概念からロジカルに考察を進めていきたいと思います。

 

二項対立について

 

二項対立というのは、カンタンに言えば「紅組vs白組」、「アメリカvsソ連」、「擁護派vs懐疑派」のように、AB」の2つを対立させて論じる手法です。

 

※なお、二項対立については別記事で詳しく解説しています。一般教養としても非常に重要な概念ですので、「よく知らない」という方は是非ともご参照ください。

対比関係・二項対立は強調の表現技法!国語・作文・小論文の例でコツを掴む|論理的思考のコツ⑲

 

ここで仮に『仲良し』というのが「組織内コミュニケーションの精度を高めて人材をフル活用する」という意味ならば、仕事のクオリティにも直結する重要な要素であると言えます。

さらに言えば、組織内コミュニケーションはシナジー効果を生み出すカギであると言っても良いでしょう。

 

『仲良しクラブ』の二項対立、「内側」と「外側」の区別

 

ですが、ここで言う『仲良しクラブ』的な発想には二項対立の罠が含まれています

 

まず話の前提として、人間である以上は人それぞれの個性がありますし、個性がある以上は必ず相性の問題があります。

特に、人材のダイバーシティ(多様性)が問われる現代日本社会であれば、なおさら「みんな仲良し」の思想には無理があります。同学年・同性・同趣味どうしのコミュニティですら反りが合わない人というのは居るものです

 

それゆえ、仲良しクラブ的な発想があると、半ば論理必然的に仲良しクラブの「内側」と「外側」という区別が生じてしまいます

仲良しグループの相手となら仕事も捗る」という発想は、裏を返すと「グループ外の人とは一緒に仕事をするのは難しい」ということと表裏一体にある、ということです。

 

これこそが、仲良し関係の「内側」と「外側」という二項対立です。

これは何も職場関係に限った話ではなく、古今東西の組織・集団が潜在的に内包している構造でもあります。

 

ここで特に問題となるのは、仲良しグループの内と外を無意識裡に区別して差をつけてしまうという罠です。

これは、いわゆる縦割り行政の弊害と本質的には似たようなものです。

すなわち、「身内=味方=優遇する」という図式です。これは裏を返すと「外部=冷遇」となり、結果的には省をまたいだ全体のパフォーマンスが下がります

縦割り行政の場合は国家規模のシステムに起因する問題ですが、仲良しクラブの場合は集団内部にこのような区別を作っているようなものであると言えます。

 

「仲良しではないから人間関係が悪い」こそ二項対立の罠

 

このような話をすると、人によってはこのように思うかも知れません。

それは、「仲良しにならないなら人間関係が悪化しても良いのですか?という発想です。

 

ですが、このような発想こそがまさしく二項対立の罠です

 

例えば、ある同僚が居たとします。

彼は、仕事上においては非常に真面目であり、声を荒げるようなこともありませんし、人の悪口も言いません。仕事上の質問にも、喜んで答えてくれます。

一方で、公私を明確に線引きしており、仕事外で馴れ合うようなことはありません。職場においては、プライベートな私語はむしろ慎んでいます。

 

果たして、この同僚に対して「仲良くなろうとしないから人間関係が良くない」と言えるでしょうか。(もちろんそのように考えるのもまた個々人の自由ではあります。)

 

私であれば、そのような方とは仲良し云々に関係なく大いに協働し大いに学び合いたいと考えます。

 

仕事上においては、「仲良し」にならなくともポジティブな関係はいくらでも成立するものです

 

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仕事における目的、手段としての職場

 

目的は「仕事上の成果の向上」、職場はその手段

 

職場において改めて考えるべきは、「仕事において成果を出す」という目的意識です

そして、目的である「成すべき仕事」に対しては、合理的・効率的な手段があるはずです。(それを考えるのが業務効率化です)

 

そうした合理的な手段を人的側面から考えてみると、以下のようなシーンが浮かびます。

  • Aさんに訊くのが合理的ならAさんに訊く。
  • Bさんと協働するのが合理的であればBさんと協働する。
  • Cさんとミーティングするのが合理的であればCさんとミーティングする。
  • Dさんの仕事をフォローする必要があるならばフォローする。
  • ほか、プロジェクトチームを構築したり業務分担をしたりする。

 

上記の例は、「お互いに必要な役割分担をし、協働し、必要な情報交換をする」というように、仕事上の目的達成のための手段であることが分かります。

その際に、本来は「仲の良さ」というものは仕事上の必要性とは別問題であるはずです

 

ここで必要性や合理性を度外視して、「仲の良し悪しから協力するか否かを判断する」のであれば、それは「成果の向上」という目的意識とは逆行する発想であると言えます。

 

仲良しクラブの阻害要因を排除し、フラットな視点を持つ

 

あるいは、仮に職場内で意見が対立したとしても、それが仕事であればより広い枠組みから各々の案を評価して組織として意思決定するのが本来の筋です。

対立意見の折衝それ自体は難しいかも知れませんが、検討の過程を通して仕事内容が改善するのであれば、それはまさしく仕事に役立つ意見交換です

 

ここで「意見の対立」と「人間関係の対立」を結びつけてしまうと、自由闊達な意見交換が阻害されてしまいます。誰もが仲良しクラブから外れることを恐れて、無難な意見しか言えない職場となってしまいます。

まさしく出る杭は打たれる」の呪縛そのものの構図です。

 

これはすなわち、仲良しクラブ的な発想が過ぎるとむしろ目的達成の阻害要因にすらなりうるということを意味します。

例えば、どんなに非効率的で摩訶不思議な業務があっても、誰も異議を唱えなければそうした悪習は延々と引き継がれていってしまうものです。現状維持は大半の人にとって楽で無難だからです。

しかし、これは会社全体の業務効率化を本気で考えるならば、長いものに巻かれないで誰かが表立って指摘すべき事態です。

 

そのように考えるならば、「内側」と「外側」という分断に加担するよりも、むしろ一歩引いてフラットな視点から職場を捉える発想が大切ではないでしょうか。

仲良しグループなど気にせず、仕事上の必要性に応じて、必要な時に、必要な人と必要な範囲で協力すれば良いということです。そして、業務改善のために忌憚なく意見を述べ合うということです。

 

そこにはボーダーなどありません

 

そうしてフラットな視点から職場に接していくうちに、やがては「孤立」という言葉自体がもはやナンセンスで不必要な概念となるかも知れません。

 

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職場自体が合わないなら退職代行&転職エージェント

 

ただし、自分ひとりでは本当にどうしようもないような状況であれば話は別です。例えば、社風や職場環境が明らかに合わないケースや、職場内で集団いじめ(と言う名の犯罪)があるようなケースです。

どれほど努力しようとも、本人には変えようのない外的要因があることもまた事実です

 

それならば、さっさと転職してしまうというのも一つの道です。

 

自分から退職を切り出すことに抵抗があるならば、退職代行サービスもあります。

転職であれば、ネット上でのマッチングサービスもありますし、一から転職のプロに頼りたいならば転職エージェントもあります。

 

いきなり退職する勇気がなければ、裏で転職活動を進めておいて、次の職場の目処が付いたら退職代行サービスで脱出するという道もあります。

 

※なお、「ブラック企業からの脱出」については別記事で特集していますので、ご参照ください。

ブラック企業を辞められない人の洗脳を解く!退職代行から転職エージェントへ|時事・社会・ビジネス②
「ブラック企業の辞め方が分からない」「会社を辞めたいけど辞められない、罪悪感がある」「退職を決断する勇気が無い」…過労・休職・ホワイト企業転職を経験した法学部OBが脱洗脳の後押しをします! そもそもブラック企業は違法です。消耗し続けるのは時間と労力の無駄であり逃げるが勝ちです。自律神経系が壊れてドロップアウトすると更に長い療養期間が必要になりますし、最悪命を落とします。 退職する勇気が無ければ退職代行サービスがあります。転職エージェントによる手厚いサポートも無料で受けられます。 あなたの選択、決断次第で今すぐにでも人生は変えられます。

 

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まとめ

 

社内コミュニケーションというものは、人的資源のポテンシャルを引き出すという点では非常に重要な要素です。

 

ですが、目的は仕事上の成果を上げることであって、仲良しになることが目的ではありません。また、仲良しにならずとも「同僚としてポジティブに協力」し合うことはいくらでも可能です

(個人的にはむしろ「仲良しの同僚じゃないとコミュニケーションも協働も出来ない」という方が問題であるように思います)

 

職場での孤立感に悩んでいる方は、まずは仲良しグループの「内側」か「外側」かという二項対立の発想から脱却することです。

そして、フラットな視点から「仕事上の目的のために必要な手段として」職場を捉えることです。

仕事上の必要性があるならば、孤立や仲良しグループなど気にせず必要に応じて話を持ちかければ良いということです。(それができないような職場であれば転職も選択肢の一つです)

 

職場においてわざわざ境界を作る必要性こそありません。プロフェッショナルとして成すべき仕事を進めれば良いのです。

 

我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。 あるとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。

……それ、「ただ言いたかっただけ」でしょ?

あっ、はい(真顔)。でも気にしない!

 

ちなみに、『マネジメントの父』であるドラッカーはこう述べています。

仕事に焦点を合わせた関係において成果が何もなければ、温かな会話や感情も無意味である。言い繕いにすぎない。逆に、関係者全員にとって成果をもたらす関係であるならば、失礼な言葉があっても人間関係を壊すことはない

 

 

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