近年の日本においては、「人間の価値を生産性で測る」という価値観が社会全体として問われているように思います。
特に、ちょうど3年前の2016年(平成28年)7月26日、津久井やまゆり園で起きた相模原事件を期に議論が更に加熱したように思います。(もっとも、この事件は介護側を取り巻く仕事環境も大きく関わってきますが)
他にも、政界での様々な論争もありました。
一方で、2019年7月21日の参議院議員選挙において、れいわ新選組から難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の舩後靖彦さん、脳性麻痺の木村英子さんの両名が当選し、「国会議員」となりました。
この件は、日本社会全体にとって、いや世界全体にとって画期的なイノベーションにつながりうる可能性を秘めています。

一方で、「生産性を高めることが重要である」こともまた事実です。
そこで、合理主義者かつ社会科学系ジェネラリストである私の視点から、「生産性」というものについて改めて考え直してみたいと思います。
舩後靖彦さんを取り巻く「生産的な」技術
舩後靖彦さんについて:難病ALS患者から経営者、議員へ
まず、れいわ新選組から当選した両氏のうち、舩後靖彦さんについてカンタンに説明します。
舩後さんは、元々は貿易会社に勤めていましたが、41歳の時にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症しました。
ALSというのは、筋肉が次第に動かなくなっていき、最終的には全身が動かなくなり食事も呼吸も出来なくなるという難病です。一時期「アイスバケツチャレンジ」が流行したのも、本来はこのALSの周知活動の一貫でした。
なお、ALSの根本的な治療法は未だ見つかっておらず、今後のIPS細胞の研究に期待されている状況です。
そのような状態の中でも、顔周りのごく僅かに動く部位を使って意思表示を行なっています。
参議院議員選挙で当選する前は、このようにコミュニケーション手段が非常に限定されていながらも活発に社会活動に参加し、経営や講師活動にも携わっているほどでした。
舩後さん・ALS患者を支援するテクノロジー、「伝の心」
舩後さんが参議院議員にあたって問題となるのは、国会での討論や意思表示です。
果たして目の周りしか動かない状態で、舩後さんはどのようにして意思表示を行なっているのでしょうか。
舩後さんを支えるのは、日立ケーイーシステムズが開発に携わった意思伝達装置「伝の心(でんのしん)」です。
例えば文字を入力する場合は、50音を行ごとにカーソルが自動で動く(あ→か→さ...)ので、「あ行」で止める(スイッチを押す)と続いて、『あ→い→う→え→お』とカーソルが動き出す。自分が選びたい文字にカーソルが移ったら、ボタンを押して止めるという形だ。
言ってしまえば、昔の「ポケベル打ち」をスイッチで行なっているような印象です。
舩後さんの場合は、ごく僅かに動く歯でスイッチを押して文字入力を行なっているということです。
特に問題なく体を動かせる身からすると気の遠くなるような方法ですが、それでも技術が発達したからこそここまで意思表示が出来ているという点は注目すべきです。
オリィ研究所とALS患者、弱者救済のための生産性向上
オリィ研究所について、ビジネスユースだけでなくALS患者支援も
ところで、舩後さんをはじめとしたALS患者についての報道の際に、「丸っこくて小さな人型ロボット」と「全身黒ずくめの研究者」の映像も一緒に出てくることがあります。
これこそがオリィ研究所です。

私が初めてオリィ研究所について知ったのは、分身ロボット「OriHime」からです。
OriHimeというのは、大雑把に言えば遠隔で操作できるロボットです。
その用途は、私が見た際には、『在宅ワーカーが職場にあるOriHimeを操作して仕事する』、あるいは『観光旅行に諸事情で行けない人がOriHimeを通して仲間と旅をする』といった具合でした。
その時には、正直に言うと「面白い挑戦だな」程度に捉えていました。
ですが、身体機能に著しい制約のある方にとっては全く話が変わってきます。
オリィ研究所にはOriHimeだけでなく、「OriHime eye」という技術もあります。
これは目線を使ってデバイスを操作する仕組みなのですが、逆に言えば意思表示の手段として視線を使うよりほか無い人も居るという事実の裏返しです。
ちなみに、オリィ研究所の創設者にして新進気鋭のロボット研究者・吉藤健太朗氏が、ALS患者を支援するに至った経緯についてご本人の言葉で語っています。
ALSと出会って5年。私がやった事とこれからやる事。 吉藤オリィ
このnoteは極めて意義深く示唆に富んだ内容です。
その中でも個人的に印象に残ったのは、以下の言葉です。
私がつくりたいのは
「意志伝達ツール」ではなく、「意志実現ツール」だ。OriHime eyeを導入した人が、だれかに「ありがとう」を言えるだけではなく、「ありがとう」と言われる存在になり、仲間達と店で働き、家族や友人らにプレゼントを贈り、自分の身体を自分で介護できる選択肢を作りたい。
私などは「『ありがとう』の言葉なんて言われなくても良い」と思うタチですが、ALS患者の場合は選択肢すら狭められているという事実にハッとさせられました。

当記事を通じて、少しでも周知活動に貢献できれば幸いです。
「弱者救済」こそ生産性の向上が重要、厳しい社会の現実
ここで注目すべきは、舩後さんをはじめとしたALS患者を支えているのは「生産性」そのものであるという事実です。
生産性の向上によってデバイスの機能や物理的なスペックが進化し、開発環境が向上していったからこそ今の技術があると言えます。
もっと即物的に言えば、生産性が高まらないとコストが高すぎて一部の富裕層以外が恩恵を受けられいという切実な問題も生じます。国家予算にも限界があります。
率直に言えば、「弱者救済」を掲げるならばむしろ生産性の向上が急務です。
日本は長らく労働集約型産業、つまり人間の労働・人手に依存する部分が強いと言われてきました。これは、人口減少時代における致命的な弱点そのものです。
こうしたことは、介護業界でも同じ話です。今のままでは、たとえ外国人労働者を大量に受け入れたところで超高齢化に人手が追いつかないとも試算されています。
ゆえに、「生産性それ自体は」非常に重要です。
感情的に寄り添うことが大切であるという意見も重々承知ですが、それでも現実としては生産性が重要であることには変わりません。
以下は、先ほどの吉藤氏が舩後さんの当選を受けて述べた言葉です。
10年と少し前まで舩後さんのような重度障害者の多くは、24時間連続のヘルパー利用が公費で保障されていない中で暮らしていました。だから在宅で自立した生活が送れず、外出できたとしても遠くまで行けなかった。
でも呼吸器や車椅子、意思伝達ツールなど、自立した生活を送るための技術が進歩した。医療・介護制度も改善されてきた。その実現に尽力してきた人の汗や彼らが築いたノウハウも、もちろん大きな影響を与えている。
なにより、舩後さん自身の「これがしたい、あきらめたくない」という強い意思=エゴが欠かせなかった。
「弱者救済」を主張するならば、思いやりだけではなく現実的なテクノロジーの発展と各々の意志力の両方が不可欠であるということです。
ユニバーサルデザインから社会全体の生産性へ
こうしたオリィ研究所の活動を通して私が思うのは、ユニバーサルデザインの重要性です。
例えば先ほどの「OriHime」の場合も、ALS患者の手足の代わりとなるだけではなく、世間一般における在宅ワーク・テレワークのさらなる促進・普及の加速化もつながる技術です。
更には、いずれALS患者でも脳波などを使って自分の体のようにOriHimeを自由自在に動かせる段階に達すれば、もはや地球上のほとんどの人が利用できる技術である、ということです。
これこそがまさしくユニバーサルデザインの真髄です。
つまり、生活弱者や障害者支援のためだけでなく、社会全体にとってプラスになる技術ということです。それは、「もしも自分も生活弱者になったら……」と問うまでもなく社会にとって生産的な技術です。

やがては、サイバネティクスの発達によって障害者支援どころか生身の人間をも凌駕することになるでしょう。
あるいは、津久井やまゆり園のような重度障害者支援施設で自律型の介護ロボットを100%実用化できたとしましょう。ここで述べているのは、物理的に不足なく介助が出来るロボットを指します。
それほどの技術が出来れば、世界中のあらゆる分野で役立つロボットとなることでしょう。
もちろん高齢者福祉にも当てはまりますが、それだけではなく、災害救助、地雷除去、事故処理、極限環境での作業、工場の生産ライン、メイドロボット……。
これはまさに、「世界全体の」マクロな生産性が高まったということを意味します。
こうした考え方は、以前の記事で解説した「世間一般で言う損得勘定は意味が狭いのではないか」という問題提起と同じ話です。
損得勘定で動くのをやめたい人は、win-win関係から長期的利益を追求しよう|時事・社会・ビジネス⑨
つまり、生産性という概念も拡大していけば良いという発想です。
ITエンジニア不足、生産性は伸びしろだらけ
もう一つ私が考える論点として、「現代日本の生産性はそもそも伸びしろだらけである」という側面があります。
例えば、生産性向上の中核となるはずのIT業界は全くの人材不足状態にあります。
IT業界において、デスマーチという言葉があります。簡単に言えば、予算もスケジュールも全く足りずエンドレス残業に陥ってしまうような状態を指します。
こうしたことが起きるのは、まさしく生産性の低さが原因です。
これは実際にコーディングに従事するプログラマーの能力の問題だけでなく、プロジェクト全体のマネジメント能力や経営者の経営判断力も一体となって関わってくる問題です。
まさに「伸びしろだらけ」です。
更には以前ツイートしたように、日本社会にはITソリューションどころではなく非生産的な慣習に溢れています。
#KuToo 運動
この件については女性差別とかの論点ではなく
「社会全体の生産性・効率性の最大化」という観点で進んで欲しい社会にはAI導入とかITソリューションとか以前に非効率的な決まり事が多すぎるように思う#ビジネスマナー こそ徹底的に #断捨離 が進んでいくことを願う
リアルRTA社会的な— 三兎セッコ (@SantoSekko) June 3, 2019
ここでの問題は、「女性社員がヒール着用を強制された結果として足を怪我する人が続出している」という事実に端を発しています。

私からすれば、こうした因習こそ「生産性が無い」ように思います。
生産性というものは、ありとあらゆる「ミクロな生産性」が積み重なっていくことで、社会全体の「マクロな生産性」へと繋がっていきます。
誰かの生産性がどうこうという以前に、生産性は伸びしろだらけなのです。
まとめ:人間の為に社会全体の生産性を高める
生産性それ自体は悪でも何でもなく、むしろ生活弱者の支援にこそ生産性が重要になります。
実際問題として、感情的に寄り添うだけでは解決できない厳しい現実があるからです。
そこで生産性について改めて考えるべきは、「人間が生産的か否か」という観点よりも、「何が人間社会にとって生産的か」という逆の視点こそが大切ではないでしょうか。(むしろコチラの方が本来の生産性のはず)
以前の記事でも述べたように、これからの時代においては、IoT技術を軸としたシナジー効果(相乗効果)によって爆発的な進歩を遂げるポテンシャルを秘めています。
その一方で、日本のあちこちで未だにFAXや紙の稟議書が現役バリバリという現実もあります。
「生産性」について語るのであれば、IT分野をはじめとして生産性の向上のために本来目を向けるべきコアな分野は世の中に山ほどあります。例えばブラック企業というのも、「生産性が低いからこそサービス残業に頼っている」という側面も大きいことでしょう。(社員の方がバリバリ仕事人間でもなければ)
また、個人レベルで「生産性」について言うのであれば、「自分自身が」生産性の向上に少しでも多く貢献すれば良いだけの話です。IT知識で言えば、自分自身が少しでも勉強すれば良いということです。
新元号「令和時代」に大切なのは零和ゲームではなくシナジー効果!|時事・社会・ビジネス④
現代日本社会は、生産性の面で言えば伸びしろだらけです。
オリィ研究所などのテクノロジー面はもちろん、社会システムの合理化、あるいは当サイトで扱っているような教育・学習・ライフハックと言った側面もそうです。
各々が変えられるミクロな範囲から生産性を高めていけば、やがては社会全体のマクロな成長へと繋がっていくことでしょう。

「生産性で人間をはからせない」という議論から先の、「どうすれば生産性を爆発的に高められるか」に焦点が当たることを願います。
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