様々な勉強法について考えるにあたり、派閥を大きく二分する論点があります。
それは、まとめノートを作るか作らないかという論点です。
学校の先生の場合は、教育目的という側面もありますので、ノート作りを指導する方が多いかと思います。
対して私の場合は、以下のような意見です。
「ノート作りは必須ではないし、掛けた時間と労力以上に学習効率が上がらなければむしろ作らない方が合理的。」
当記事は、まずはスタイルを決めかねて迷っている方にももちろん参考になるはずです。
一方で、むしろ現在まとめノートを作って勉強している方にこそ是非とも考えていただきたい論点でもあります。

基本的には人それぞれ学習スタイルがあって当然の話です。ですが、手段が目的化していないかという観点は万人共通の課題です。
体験談:綺麗で可愛いノート作り、手段の目的化
私が個別指導塾で講師をしていた際に、とあるタイプの生徒さんをよく見かけました。
それは、やたらとキレイで凝ったノート作りに励む生徒さんです。特に女子生徒の方に多いです。
色ペンなどを駆使して可愛くデコって(?)見た目には華やかでキレイなノートです。
そのままプレゼン資料にできそうなほど丁寧なものもあれば、イラスト的な書き方もあります。

確かにありますね。でも、それって良いことではないですか?

「一見」良さそうにみえるのですが、問題は学習効果です。
では、私が当時数学を担当していた女子生徒N子さんの例をご紹介します。
N子さんは、とにかくノート整理に時間と労力を掛けていました。私から見ても非常に見やすいノートの書き方です。そのまま参考書に載せられるレベルの美しさでした。
ですが、N子さんは授業中でも問題演習に入る前に延々とノートを書き続けています。
それも、私の教えたコツなどを忘れないように書き留めるのではなく、解説や参考書に書いてある内容を書き写し続けています。
よく見ると、本質的にはただレイアウトを綺麗にアレンジしているだけで、内容的には元の解説とさほど違いがありません。むしろ情報量は減っています。
そこで、ノートを書き終わった段階を見計らい、ノートを伏せた状態で「つい今しがた」書いた内容について質問してみました。
しかし、率直に言うと内容が全然頭に入っていませんでした。
きっと後で復習に使うのだろうと思い、ついでに一つ前のページに書いてあった内容について質問してみました。
しかし、N子さんは自分で書いたノートの内容を理解していない上に、書いたことすら忘れていました。
では、その前の内容は?更にその前の内容は?と遡ってみても、わざわざ時間と労力を使って自分の手で書いたはずのノートの内容がまるで頭に入っていません。
それはすなわち、ノートを書くだけ書いてその実は何の学習効果も上がっていないということです。

これはつまり、手段と目的が入れ違っているということです。N子さんにとってはノート作りそれ自体がゴールになっているのです。
ノートは手段の一つであり道具に過ぎない

ノートを使って勉強している方は、是非ともノートを取る目的について再確認してみることをオススメします。
目的はノート取り選手権?デザイナー?いいえ学力向上です

では、そもそも勉強の目的ってなんですか?

テストの点数アップかな。やらされてる感の方が強いけど。

もっと広く言えば、何かを知るってことでしょうか。

では、まとめノートを作る目的はなんですか?

復習に使うため……ですね。

つまり、まとめノート→復習に使う→学力向上ということです。
前々回の記事で述べたことですが、勉強とは「できない」を「できる」に変える作業です
そしてその勉強に使う道具の一つがノートです。
そうであれば、ノート作りに使った時間と労力に見合うだけの学習効果が生じないと無駄な作業になるということです。
※後で解説しますが、ノート作りの過程をそのままアウトプット学習に結びつけることも可能ではあります。
もしもノート作り選手権のようなものが開催されるのであれば、キレイなノート作りそれ自体を頑張る意味はあるかも知れません。
あるいは、Webデザイナーなどの「他人に見せる」ことが目的の仕事を目指すのであれば、キレイなノート作りはまさしく目的に適った訓練になるでしょう。
ですが、学力向上が目的にもかかわらず役に立っていないのであれば、キレイなノート作りは時間と労力の無駄になっていると言えます。
逆に、汚いノートでも本人の学習に役立っているのであればそれは有効な手段であるということです。
参考書とは「教育のプロが書いたまとめノート」をお金で買ったもの

ここで、参考書の存在意義について考えてみましょう。
もしかすると参考書は「何となく買っているだけ」の感覚になっている方も多いかと思います。実際、タンスの肥やしならぬ本棚の肥やしになっているケースも散見されます。
もちろん実際に有効活用できているのであれば、それは道具として役に立っています。
では、参考書の本質的な意義とは何でしょうか。
それは、お金で情報整理の時間と労力とクオリティを買っているということです。
民間のシンクタンクが学識者や専門家をお金で雇って研究をしてもらうのと同じ話です。
参考書の場合は、その道の専門家が報酬と引き換えにまとめノートを書いて製品化したものであると言えます。
それならば、ノート作りをせずにその参考書を最初からまとめノートとして活用すれば良いのではないでしょうか。
自分なりに補足やリライトをしたいのであれば参考書に直接メモするor付箋に書いて貼るというのも一つの方法です。

ノート作りをするのであれば、参考書では本当に代替できないのか再確認してみることオススメします。
ここで述べている話が腑に落ちない方は、逆に考えてみましょう。
「ノート作りに使っている時間と労力で参考書をゴリゴリ進めていったらどれだけ学習が進むか」と考えてみましょう。
それでもノート作りをした方が効果的だと考えるのであれば続ければ良いですし、その自信が無ければ試しに参考書を1周2周3周とゴリゴリ回してみてはいかがでしょうか。
ノート整理で大切なのは実際の学習効果!根尾昂選手の例に学ぶ
ここまで述べてきたことは、ノート作りそれ自体を否定することではありません。
むしろ、ノートを作ることで高い学習効果を得られるならばやった方が良いということと裏返しの話です。
例えば、大阪桐蔭高校から中日ドラゴンズに入団した根尾昂選手です。

彼は野球においても勉強においてもキレイにノートを整理することで有名です。
ただし、彼の場合はN子さんのようにただキレイにまとめるだけでなく、ノートを使って学習することで実際に学習面で成果を挙げているからこそ意味があるのです。
どれほどの成果かと言えば、「投手としても野手としてもドラフト1位になる強度の練習」をこなしている合間に勉強して偏差値70超です。(※大阪桐蔭高校の進学組は京大合格者を数十人輩出するレベル)
地頭を考慮しても勉強に当てられる時間は極めて限られていますので、その分学習効率を最大化しているということになります

根尾様の場合は完璧超人すぎて参考にならないんじゃないの?

いえいえ、模範として見習うことはできますよ。
以下、発言の引用です。
「先生方は僕たちが知らないことしか教えないわけですから、それを教えてくださるんだと思って聞いていました。
授業が終わったら今日はこういうことを学んだんだなとノートに整理する。オール5を目指していたわけではなく、どの教科でも手を抜かないという意識を常に持っていました」
まず当然のことながら、勉強に対する意識自体が極めて高いです。この高い意識が日々の野球の練習でも学校の勉強でも集中力に直結しているということです。
ここでノート作りの観点から注目すべきは、赤文字の部分です。
「授業が終わったら今日はこういうことを学んだんだなとノートに整理する。」
これはまさしく解き直しと原理的に同じことを行なっています。
解き直し特集の記事では、「間違えた問題は即解き直す」ことを推奨しましたが、根尾選手の場合は授業が終わった当日に授業の解き直しをしているようなものです。
これは同じノート作りでも、そのままアウトプット訓練も兼ねているということです。そのうえで、もちろん書いたら書きっぱなしではなく後で見返して復習にも利用していることでしょう。
ちなみに、そんな根尾昂選手の愛読書は『思考の整理学』です。
こうした知識を背景に、自分の頭で考えてノートを作っていることが伺えます。

勉強もスポーツも合理的なメソッドが大切ということです。
「勉強にノートは不要」という選択肢、私自身の経験上から

ちなみに先生は高校生の時にノートは作っていたのですか?

いいえ、ノートは一切作っていません。
私の場合はいかに学習時間を減らすかに注力していたからです。

では、参考書をノート代わりに使っていたのですか?

私の場合、参考書は1周で留めて問題演習と解き直しが主軸でした。そして理解の浅い部分に絞って参考書やネットで改めて調べます。
ちなみにホリエモン氏もノートは要らないと述べていますが、それは勉強をビジネス目線で考えていることの現れだと私には思われます。
つまり、目的は利益=成績の最大化であって、「目的達成に対する合理的な手段は何か」という視点から考えるべきであるということです。
私自身そのように考えた上で、そもそも復習をするならまとめノートではなく問題の解き直しをすれば良い、という発想に至りました。
その結果としてのセンター総合点9割です。
思考整理・アウトプットの為のメモ書きは機能が違う
なお、ノート作りを一切しない私の場合でも、数学の計算過程や文章読解でのロジックの分析結果などのメモ書きは山ほど書きます。
ただし、それらはアウトプットのプロセスで必然的に生じるメモ書きであり、まとめノートのように後で別途情報をまとめるようなことはしないということです。
このようなメモ書きはアウトプットの為の思考整理として機能しているのと同時に、頭の中の情報を紙に移すことで記憶領域を節約しているようなイメージです。
ここで述べているのは、要するに「自分の頭の中にある思考を」アウトプットするということです。

思考をアウトプットする習慣は、まとめノート如何に関係なく当たり前のようにやるべきことだと私は思います。
また、ToDoリストや、自分なりのコツを掴みかけた時などに書く「忘れないための記録メモ」も、N子さんが書いていたような『綺麗なだけで何も習得できない』まとめノート作りとはまた別の話です。
ToDoリストや自分なりのコツというものは、メモしておかないと記憶が失われてしまうからです。そうした記憶は「後で記憶を遡ってアクセスするのが困難な情報」とも表現できます。
授業中の先生の話などから『教材を読んでも分からないコツ』を書き留めるのもこれと同じ話です。

コツの部分については教科書や参考書に直接書き込んでおけば済む話です。
※なお、「直接書き込みたいけど消せないのが困る」と抵抗を感じる方は、消せるボールペン・フリクションボールがオススメです。蛍光ペンもあります。
問題集の書き込みにフリクションボール!ドライヤーで消去しコピー要らず│勉強アイテム・文房具③
また、以前ご紹介した間違いノートというのも、「自分の弱点だけをピンポイントにまとめる」、あるいは「失敗への抵抗感を減らす」という点でキレイなだけのノートとは違います。
ただし、解き直しサイクルが勉強の中心になってくれば、これも間違えた箇所をノート化しないで問題集や参考書に直接マークをしておくことで事足ります。
勉強できないことが怖い?むしろ間違えた問題や失敗から学ぶ発想への転換を|勉強法・教育法④
まとめ
もしもノートを作るか否かで迷っているならば、まずは既存の教科書・参考書・問題集ベースで勉強を進めてみることをオススメします。
『ノートを作る派』でいくのであれば、ご自身のノート作りが勉強の役に立っているのか、時間と労力を使った分の学習効率が生じているかといった重要ポイントについて再考してみることを強く推奨します。
ありがちな失敗例としては、『ノートをキレイに書いただけで勉強した気分になる』というケースにもっとも注意すべきです。

大事なことなのでもう一度問います。勉強の目的はなんですか?
ノート作りとはその手段であって目的ではありません。

ノート作りそのものがダメって話じゃなくて、ちゃんと必要性と理由を自分で考えて説明できますか?ってことなのですね!

それに加えて、「実際に成果が挙がっているか」というのが重要です。
もしもまとめノートで成果が挙がっていないのであれば、それは勉強のやり方に問題があるのではないでしょうか。
そうであれば、勉強のやり方を変える必要があるということです。
※勉強は時間ではなくアウトカム(成果)で測りましょう!
※問題集の選び方のコツは解説にあり!
コメント