問題提起とは、主に論説文の序盤で出てくる、読者への問いかけです。
例えば当記事で問題提起をするならば、「では、問題提起とはどうして重要なのでしょうか?」といった具合です。
ハッキリと問いの形になっていなくとも、何らかの話題や論点を提起していれば同じような意味合いになります。
例えば、「問題提起は実は非常に大切なのである」と冒頭でトピックを提示すれば、具体的な問いかけの形があろうとなかろうと、『ならば問題提起は何故、どのように大切なのか』というような流れになるのが筋です。

えっ、でもそれってただの前置きじゃないの……?

ただの前座ではありません!
それどころか、問題提起は文章全体の軸になりえます!
問題提起:本文の意味合いをも変える主題の導入部分

では、問題提起の何が重要かを具体的に考えていきましょう。
論説文の具体例:スマホ・SNS問題のパラグラフ、どのような位置付け?
問題提起の意味と機能について、実際に論説文を想定して考えてみましょう。
例えば、とある論説文の中で「子どものスマホ・SNS問題について」の話が延々と続いたとします。
具体的には、スマホ依存症の問題であったり、対人トラブルの問題であったりするでしょう。

では、これらのパラグラフは、その論説文ではどのような位置付けになるでしょうか?

パラグラフの位置付け?

マクロな文章構成・アウトラインの中で、どのような位置付けになるか?ということです。前回記事の応用編です。

今出てる情報だけではわからないと思います。

そのとおりです。
文脈が分からないとパラグラフの位置付けは分からないのです。
例えば、その論説文のメインテーマがスマホどころかITとも関係なく、『親子関係の希薄化について』の話題だったらどうなるでしょうか?
逆に、そのまま『IT化から生じる教育問題』という観点であればどうでしょうか?
文章全体のメインテーマによって、その具体例の位置づけは全然違ってくるのです。
これは、文脈によって言葉の意味が変わってくるという話のマクロスケール版のようなものです。

パラグラフリーディングでも前後関係が重要ということです。
そして、問題提起こそがその導入部分になります。
問題提起が「親子関係の希薄化」だった場合
では、その論説文のメインテーマが『親子関係の希薄化』だったとしましょう。
その場合、オーソドックスな文章構成であれば、
『現代の日本においては、親子関係の希薄化が社会問題となりつつある。』
といった感じの問題提起が序盤にあるはずです。
そうすると、子どものスマホ依存症の例もSNS上の対人トラブルの例も、「親子関係が希薄になった結果がコレだよ!」という主張に繋げたいがための具体例となるでしょう。
つまり、スマホ依存症も対人トラブルも、提起された問題=『親子関係の希薄化』という切り口から問題を具体化した話という位置付けになります。

イメージ的には、問題提起から受け取ったボールをトスしているような感じです。では、トスしたボールはどうしますか?

アタックだ!

そうです。
問題提起は、アタック=筆者の主張につなぐための道具なのです。
文章の冒頭で提起した問題について具体的に例示したわけですから、次は、明らかにした問題点に対する筆者の意見が続くことでしょう。

過去記事で解説したように、先に一般論や第三者の意見を出しておいて、それらを否定してから筆者の主張を強調する手法もあります。
今回の例では、親子関係がメインテーマ=本文の主旨なわけですから、では子どもがスマホに浸りっきりにならないように親子間のコミュニケーションの機会をいかに設けるかという論点が考えられます。
あるいは、「親が子どものスマホ利用にもっと関わるべきだ」といった主張も挙げられるでしょう。
いっそのこと「スマホから離れて親子で一緒に体験学習に行こう」という展開もありえますし、あるいは問題点をさらに深掘りして共働き世帯の問題から解決策を考えていくかも知れません。
いずれにせよ、結論としては、問題提起で挙げられたメインテーマ=『親子関係の希薄化』に対しての筆者の主張で結びとなることでしょう。
ここでもし仮にこの文章で、
「いいや、SNSは子どもたちの社会性の成長に貢献してるから上手く使うべきだ!」
「ITリテラシーを高めればトラブルも回避できるはずだ!」
という方向性でIT問題についての議論を延々と深めたところで、親子関係のテーマからすると筋違いなわけです。

SNSの話が出てたんだからITの展開もそれはそれでアリじゃない?

その疑問については後で解説しましょう。
まずはシンプルに王道のパターンで考えていきます。
問題提起が「IT化に伴う教育問題」だった場合
ここでもし順当に『IT化に伴う教育問題』が本文の主軸だった場合は、子どものスマホ依存症やSNS上の対人トラブルなどの問題は文中でどのように扱われるでしょうか。

やっぱりそのまま「問題を上手く解決してITを有効に活用しよう!」という話になってくると思います。

素直に展開するとそうなるはずですね。その場合は、事前に『ITは有用であるが教育上の課題もある』といった問題提起があるでしょう。
先ほどの『親子関係の希薄化』に対する解決策として挙げた「親が子どものスマホ利用にもっと関わるべきだ」という意見も、教育問題がメインテーマであれば「親が関わることで弊害を除去してITリテラシーを高めるサポートをしよう」といった具合に、論点の切り口が全く変わります。
なぜならば、こちらのケースでは先程の親子関係のケースとは違って、IT教育に関する切り口から問題を提起したためです。

先程のケースは「親が子に関わること」が切り口でしたが、今回の場合は同じ意見でも「スマホ利用」それ自体が切り口となります。
あるいは先ほどのケースでは筋違いと述べた「SNSによる社会性の成長」という論点に至っては、今回のケースでは一転して論理展開の主軸にすらなりうるでしょう。
いずれにせよ最終的な結論としては、
「このようにIT化の弊害を解決して上手く活用することで、教育にも有効に活用するべきだ」
といった感じで結ぶのが順当であると考えられます。
こうすることで、「問題提起→本論→結論」が『ITと教育』という論点で首尾一貫した文章構成になります。
だからこそ問題提起は文章の主題にすら直結する超重要な技法なのです。
小論文・作文:「IT化と教育問題」を想定したアウトライン具体例

それでは、小論文を想定してアウトラインでまとめてみます。
(アウトラインについては前回記事参照)
1 問題提起 (序論)
(1) 「ITは上手く活用すれば教育にも役立つ」
(a) 世界中のマルチメディアな知識が手軽に得られる
(b) 知的な興味関心の幅が広がりやすい
(2) 「しかし教育上の問題も生じている」
(a) 例1:子どものスマホ依存症の問題
(b) 例2:SNS上での対人トラブル問題
2 解決策 (本論)
(1) 前置き:スマホ・SNS自体は社会性等の成長にも貢献する
(2) 親が子とスマホについてのコミュニケーションを積極的にはかる
(3) 大人・社会が共同してITリテラシー向上のサポートをする
(4) 子どもたちが遠慮なくトラブル相談できる体制づくり
3 結論
「大人たちが子どもをサポートして弊害を取り除き、ITを上手く教育に活用すべきだ!」

アウトラインが出来上がった時点でほぼ勝ち確定です。
あとは字数制限と相談してトピックを付け足したり削ったりした上で、答案に肉付けしていくだけです。

『ね、簡単でしょ?』がカンタンに書けないんだなコレが。

私の場合は実践経験を積んできているから書けるだけです。
だからこそ普段から自分の手でアウトラインを書くよう勧めています。

でも、問題集の模範解答とかを見てて思うのですが、あんなキレイな解答を書ける気がしないです。

模範解答はプロの仕事です。普通の受験生には書けなくて当たり前です。大切なのは自分なりに試行錯誤して一歩ずつ改善することです。
参考:問題提起と異なるトピックが延々と続く場合

では、先ほど保留していた問題について考えていきます。
『親子関係の希薄化』で問題提起したケースでは、ITのトピックについて延々と語っても筋違いと書きました。

SNSの話が出てたんだからITの展開もそれはそれでアリじゃない?

その文章の作者自身が『親子関係の希薄化』を問題として提起していますから、もしITについての話を膨らませたならば、親子関係の問題というメインテーマに論理を繋げないとわざわざITの話を展開した意味がありません。

つまり……どういうことだってばよ?

ITの話が文章から孤立して浮いちゃうくらいなら長々と書く必要なんて最初から無いよね、ムダな話だよねってこと。

なら「親子で一緒にITを使おう!」ってつなげれば解決じゃない?

それだったら遠回りしないで最初からそう主張すれば良いんじゃないのかな?

筆者の文章構成次第では実際に遠回りな論理展開をするケースもありますので、その際は「今読んでいるパートはメインテーマにどう結びつくか?」というマクロな観点を忘れないようにしましょう。

……ふと思ったのですが、もし序盤の問題提起がダミーだったらどうなるのですか?

著書の途中から引用して問題文を作成するケースではそれもありえます。あるいは、エッセイに近い文章でしょう。その際は、改めて問題提起・メインテーマが示されるはずです。

もし、ですよ。それでも本当に問題提起のテーマから外れた結論で終わったらどうなるのでしょうか?

私ならば……「あれ?このトピック、いつまで続くんだ?……あっ、終わった。なら序盤は分けて構造を考え直すか」と探りつつ読みますね。
読解問題であれば問題作成者の考え次第なのでそれも仕方ありませんが、自身が論述する際はオーソドックスな展開で書きましょう。

原点回帰で減点回避、なんちゃって。
物語文:序盤の人物描写・設定説明も実は大切な根拠
ここまで解説してきた問題提起は、あくまでも論理性を重視した論説文が中心の話です。
物語文になれば、ストーリーの起伏や急展開もあるため、論説文のような首尾一貫性は期待できませんし、そもそもロジックの説明が目的でもありません。
一方で、物語文の序盤では、大抵の場合は登場人物のバックボーンや人格、舞台設定などの説明があるかと思います。
これは一種の話題提起に似た機能を果たします。いわゆる起承転結の『起』です。
例えば、走れメロスの序盤では物語の舞台、メロスの境遇、人格などが描写されており、そこからストーリーが展開されていきます。
ここで注目すべきは、物語文の読解問題のポイントです。
すでにお話したとおり、物語文の主軸となるのは登場人物の心理描写・心情変化です。
そうした登場人物の心情を客観的な試験問題の対象にするわけですから、その前提となる人物描写があれば、行動や心情変化の理由を論理的に説明する根拠の一つになるということです。

どういう意味?

その人がどんなキャラクターか分かってれば、なんでそういう行動をしたかも察しがつきやすいって感じじゃないの。

メロスはド直球の熱血主人公だったからヒドい暴君に怒って突撃した、みたいなことかな。たしかに説明が無くていきなり城を襲撃したらただのテロリストだよなあ……。
※『走れメロス』では、最初の段落で既にメロスの人物描写がされています。
メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

物語というのは、人が主役なのです。論説文がロジックを固めていくように、物語文は人物描写を重ねていきます。
そのスターターこそが序盤の設定説明の部分なのです。
まとめ
問題提起(序論)は、マクロスケールな文章構成のスターターになります。
論説文は、「いかに筆者のロジックを読者に伝えられるか」が目的なわけですから、序盤に問題提起を通じて文章の方向性を示すことによって、メインテーマが分かりやすくなるわけです。
問題提起は何となく場を盛り上げることだけが目的ではありません。
書き手側からすると、問題提起は読み手を筆者の主張に誘導するための導入部分なのです。

今回の記事を念頭に置いて、序盤も気を緩めず慎重に読みましょう。また、論述の際には自分の中で問題点を明確にして提起しましょう。
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